花/flowerの最近のブログ記事

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昨年の震災の反動のせいか、今年は各地で急性アルコール中毒の

搬送件数が増加したとか、、、

大人なんだから節度を持って飲めばよいとは思いますが、

景気が悪い社会背景もヤケ酒したくなる要因の一つなのではないかと

思います。

20代のうちから不景気に慣れてしまうと無気力になってしまうのは

ある意味自然でしょうね。

今年はゆっくり善福寺川沿いの桜を見てきました。

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去年より今年の方がピンクが強く咲いていた気がします

毎年桜を見ると「よし、今年もがんばるぞ」という気分になるのは

自分だけだろうか?

バラの花を見ても同様の感情はまず沸いてきませんね

日本人にとって桜は特別な花なんだと思います

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勤め先の裏手にある通りの名称は「さくら通り」です

名前に負けないぐらい今年の桜はきれいに咲いていました

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早朝に桜の写真を撮りました

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今年最初の桜の写真を撮りました

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家裏の桜が満開になりました。今週末はどこも花見で混みそうです。

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今年は開花が遅いせいかまだ5分咲でした。

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いつもお世話になっている飯田夫妻より招待をしていただき河津桜祭りに行ってきました。河津桜は染井吉野などに比べると赤色が強くキレイでした。これで八分咲きということは来週ぐらいまでが見頃だと思います。美味しい食事をご馳走になったうえ、沢山のお土産も頂きたいへん恐縮した土曜日でした。いつもありがとうございます。

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都内に住んでいる人でも意外と知らない人が多い浜離宮、サイトで調べると結構その歴史など興味深いので掲載します。
潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。
 旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でした。しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、ここだけです。浜離宮は、この潮入りの池や池や鴨場を中心にした南庭と、明治時代以降に造られた北庭とに大別されます。
 この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。その後、綱重の子供の綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
 以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。
明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失したり樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ昭和21年4月有料公開されるに至りました。なお、国の文化財保護法に基づき、昭和23年12月には国の名勝及び史跡に、同27年11月には周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。

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丸ビル周辺は「秋の収穫祭」という企画イベントの一環として花や草木のディスプレイが急に増えました。ヘンテコな牛をあちこちに置くよりもこっちの方が分りやすくていいですね。

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